大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成3年(ワ)1357号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

久連山剛正

本田敏幸

梅澤幸二郎

高橋理一郎

大島正寿

池田昭

木村哲也

山下幸夫

右訴訟代理人高橋理一郎復代理人弁護士

横山裕之

被告

株式会社毎日新聞社

右代表者代表取締役

渡邊襄

右訴訟代理人弁護士

河村貢

豊泉貫太郎

岡野谷知広

主文

一  被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和六三年八月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年八月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、毎日新聞紙上に、別紙(一)記載の内容の謝罪広告を、同記載の条件で一回掲載せよ。

3  被告は、別紙(二)記載の各図書館に対し、別紙(三)記載の文言及び別紙(四)記載の版下原稿により作成した付箋を各一回送付せよ。

4  被告は、毎日新聞記事データベースのうち別紙(五)記載の記事につき、別紙(六)記載の付記をせよ。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

6  第一項につき、仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(一)  原告は、昭和六二年一二月二日から、〈番地略〉において「カフェ・バー・スクエア・おんなのことおとこのこの夢見波」(以下「夢見波」という。)を経営していた者である。

(二)  被告は、日刊新聞紙の発行等を目的とする株式会社であり、毎日新聞を発行している。

2(本件記事の掲載)

被告は、被告が発行する毎日新聞において、別紙記事一覧表の記事1ないし同11(以下、それぞれの記事を「記事1」ないし「記事11」といい、すべての記事を指す場合に「本件記事」という。)において、原告に関する記事を掲載・頒布した

3(名誉毀損)

(一)  本件記事の虚報性

本件記事は、①原告が朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という。)の工作員(秘密裡に情報収集活動等に従事する者)とコペンハーゲンで接触していた(全記事)、②原告が「よど号」ハイジャック犯の安部公博と接触していた(記事1ないし同3、同6)、③原告が自衛隊や米軍基地に関する情報を北朝鮮等に流していた(記事4)、④右ハイジャック犯の柴田泰弘と共に、ボランティア団体を工作員活動のカムフラージュにしていた(記事6)などを主な内容とし、また、韓国には渡航したことがないのに、渡航したと誤報(記事1、同3、同4)したり、原告は逮捕事実について供述していたのに取調べについて一切黙秘している(記事1、同4)と報道しており、これらの記事の報道により、原告があたかも筋金入りの北朝鮮の工作員ないしスパイであり、他の北朝鮮工作員もしくは「よど号」ハイジャック犯と接触しながら、スパイ活動を行っていたかのような印象を読者に与えたばかりか、逮捕事実についても、原告が当時居住していたアパートを賃借する際、他人名義を用いた(記事1)とか、公正証書原本等不実記載(記事11)とか事実とは異なる内容の記事を掲載しており、これらによって、原告の名誉及び信用は著しく毀損された。

(二)  実名・呼び捨て報道

更に、本件記事においては、記事6、同7において、実名・呼び捨てで報道されており、それにより、原告は、より一層名誉・信用を毀損された。

4(プライバシー侵害)

本件記事においては、原告の氏名(記事6ないし同10)、住所(全記事)、職業(全記事)、年齢(全記事)、渡航歴(記事1、同3、同4、同7ないし同11)、経歴(記事1、同2、同4)、原告経営の店舗の状態(記事2)、賃貸借契約締結の経緯(記事5)及びボランティア活動(記事6、同9)について、原告に無断で公表しているが、これらは原告のプライバシーを著しく侵害するものである。

5(損害)

(一)  原告は、本件記事の掲載・頒布により、多くの友人・知人を失い、夢見波の経営を継続することができなくなったばかりか、それまで居住していた横須賀の地に住み続けることができなくなるなど、経済的・精神的に回復困難な打撃を被るとともに、原告の社会的評価は、金銭賠償のみによっては回復できないほど著しく低下した。

(二)  慰謝料

(1) 填補的慰謝料

原告の精神的苦痛を慰謝するには、あえて金銭に換算するとすれば、少なくとも金五〇〇万円を下らない。

(2) 制裁的慰謝料(懲罰的慰謝料)

現代社会が公害・薬物や名誉毀損等の新しい不法行為類型を生み出し、その制裁・予防が刑事罰や行政罰によっては必ずしも的確に果たし得ない以上、民事責任に制裁的機能を認め、その制裁を通じて、今後も同種の不法行為を行うことを抑制すべきである。

そこで、制裁的慰謝料としては、本件記事の内容の悪質性に鑑みると、金四〇〇万円が相当である。

(三)  謝罪広告の必要性

被告発行の毎日新聞は、全国三大紙の一つであり、その影響力は絶大であるから、原告の名誉・信用及びプライバシー侵害の状態を回復するには、別紙(一)記載の謝罪広告を、同記載の条件で一回掲載させることが適切かつ必要である。

(四)  その他の措置の必要性

更に、本件記事は、現在においても、被告発行の毎日新聞の縮刷版及びマイクロフィルムという形で、あるいは毎日新聞記事データベースという形で、第三者がいつでも情報に接し利用できる状態にあるから、原告に対する名誉及び信用並びにプライバシー侵害の状態はなお将来にわたり継続していることになり、その結果、本件記事が事実に反し、違法なものであることを知らない第三者によって、引用その他の方法により再利用される危険が強いといえる。

したがって、原告の名誉・信用及びプライバシーに対する侵害を排除し、将来の侵害を予防するために、本件記事が掲載されている右縮刷版及びマイクロフィルム所蔵の箱に、本件記事が事実に反し、原告の名誉・信用を毀損するとともにプライバシーを侵害した違法なものであることを明記した付箋を貼付し、これを閲覧、利用する者に対し、その虚偽性・違法性を告知するよう、各図書館に対し右付箋を送付の上、通知・要請させるのが適当である。

また、被告が管理・運営する毎日新聞記事データベース中の別紙(五)記載の(記事1)ないし(記事5)につき、同記事が事実に反し、原告の名誉及び信用を毀損し、プライバシーを侵害したものであるのでその取扱いに注意されたい旨の別紙(六)記載の付記をさせるのが適当である。

(五)  弁護士費用

原告は、原告の受けた損害を回復するために、やむなく原告訴訟代理人らに訴訟の提起、遂行を依頼し、その際、合計金一〇〇万円の報酬の支払いを約したが、これは被告の不法行為と相当因果関係にある損害である。

6 よって、原告は被告に対し、不法行為に基づく名誉回復の措置として、請求の趣旨第二項記載の謝罪広告並びに名誉権、プライバシー権に基づく妨害排除及び予防請求の措置として、請求の趣旨第三項記載の文書及び付箋の送付並びに請求の趣旨第四項記載のとおりの付記を、毎日新聞記事データベース中の記事にすることを求めるとともに、不法行為に基づく損害賠償として、慰謝料金九〇〇万円及び弁護士費用金一〇〇万円の合計金一〇〇〇万円並びにこれに対する最終の不法行為の日である昭和六三年八月七日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1のうち、(一)の事実は不知、(二)の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3のうち、(一)の①ないし④の趣旨(ただし、被告の報道は捜査当局がそのような疑いを持っているという内容で報道したものである。)の記事を被告が掲載したこと及び(二)のうち原告主張の各記事に原告の実名を報道したことは認め、その余は否認ないし争う。

渡航先の誤報の主張については、たとえ原告が韓国に渡航した事実がなかったとしても、それが原告の名誉を低下させるものではないし、そもそも原告が第三国に渡航するために韓国を経由したことがあることについては、原告自身も認めているのであるから、主張自体失当である。

原告が黙秘しているとの報道、実名・呼び捨てでの報道についても、原告の名誉とは直接関係がない。

4  同4のうち、本件記事に原告の住所、年齢、経歴、海外渡航歴及びボランティアグループのことを掲載したことは認め、その余は争う。

原告の住所、海外渡航歴などは元々プライバシーの問題とはならない。

5  同5(一)のうち原告に関する部分は不知、その余は争う。同(二)は争う。同(三)のうち被告が全国三大紙の一つであることは認め、その余は争う。同(四)は争う。同(五)のうち原告と原告訴訟代理人との間の報酬の合意等の内容は不知、その余は争う。

6  同6は争う。

三  抗弁

1  名誉毀損の主張に対して

(一) 本件記事は、我が国の安全保障に係わる公共の利害に関するもので、専ら公益を図るものであり、記事の内容は以下に述べるとおりいずれも真実であるから、本件記事掲載の違法性は阻却される。

(1) 原告が北朝鮮工作員と接触した事実について

原告は、昭和五六年六月ころ、コペンハーゲンにおいて、劉と名乗る男と会い、その後、同人と二人でコペンハーゲンからベオグラード、東ベルリン、モスクワへ旅行したりしたほか、同六〇年一二月に同人に連絡をとったり、同六二年に会うなどしていたのであり、この劉は、北朝鮮・朝鮮労働党連絡部の欧州地区担当幹部キム・ユー・チョルであって、同人は北朝鮮工作員であるから、原告は北朝鮮工作員と接触していたことになる。

(2) 原告が北朝鮮工作員の協力者であったことについて

原告は、劉から、仕事を手伝ってくれと頼まれて承諾し、フランス、イギリスで買い物を、シンガポールで写真撮影をし、日本ではポラロイドカメラ、地図、辞典、防衛白書及び警察白書等を購入し、公園の写真撮影を行い、これを劉に手渡しているのであり、また、原告の知人の名簿を作成するように依頼され、名簿作りをするなどしていたのであるから、北朝鮮工作員である劉の協力者であったことになる。

(3) 原告がよど号ハイジャック犯と接触していた事実について

原告は、よど号ハイジャック犯である柴田泰弘と電話で連絡を取り合い、また原告宅から押収したメモ帳に記載された人物の氏名が、柴田泰弘宅から押収したカード入れ(住所録)にも記載されており、しかも原告が使用していた銀行カードの暗証番号がよど号ハイジャック事件関係者の本籍地番、生年月日と極めて類似しているから、原告はよど号ハイジャック犯と接触していたことになる。

(4) 原告が自衛隊や米軍基地の情報を流すなど工作員活動をしていたことについて

原告は、昭和五九年当時、外国にいたが、いったん日本に帰国するに際し、劉から防衛白書の購入等の依頼を受け、これに応じて購入した物品を同年一二月にコペンハーゲンで劉に手渡しており、防衛白書には自衛隊、在日米軍基地に関する情報が記載されているから、自衛隊、米軍基地の情報を提供していたことになる。

また、原告は、劉からの指示に従って、指定された図書の購入、指示された場所の写真撮影、カメラの購入及び知人のリストの作成等を行っていたのであるから、まさに原告自身が工作員活動と評し得る活動をしていたことになる。

(5) 逮捕事実について

逮捕事実が、原告が逮捕当時居住していたアパートの賃借の際に他人名義を用いたというものではなく、かつて居住していた部屋の賃借時に他人名義を用いたというものであったとしても、原告は右アパートの賃借時に本名を用いず「佐藤恵子」という別人の名前で賃貸借契約をしていたのであり、しかも、原告は、公正証書原本等不実記載罪で起訴され、有罪判決を受けたのであるから、記事1及び同11の内容が逮捕事実とは若干違うとしても、このような事実関係のもとにおいては、事実と報道内容との間には基本的な差異はなく、これが原告の名誉を左右するものではない。

なお、本件記事がいずれも真実であることは、平成元年版「警察白書」に、原告が北朝鮮工作員と接触し、種々の情報収集作業を行っていた旨の記載がされていること及び昭和六三年七月二九日に外務省が原告に対して、原告が昭和五七年以来北朝鮮工作員と認められる人物と海外において接触し、その指示により情報収集活動を行っていたことなどを理由として、一般旅券返納命令をしたことからも明らかである。

(二) 仮に本件記事が真実でないとしても、被告において真実と信ずることになんらの過失はなかった。

本件に関して、原告が接触した人物について、捜査を専門とする警察当局が諸般の事情、証拠等に照らして北朝鮮工作員と判断し、また諸外国の動静、我が国をめぐる諸外国の活動、各国の我が国への働きかけなどにつき最も情報収集に優れ、かつ充分な資料、情報を有する外務省が同様に原告を北朝鮮工作員と接触があると判断した以上、一報道機関である被告が同一の判断をしたことについて過失があるとはいえない。

2  プライバシー侵害の主張に対して

仮に本件記事が、原告のプライバシーを侵害するものであるとしても、本件記事の内容は公共の関心事であるから、その報道については違法性がないか、これが阻却される。

3  消滅時効(名誉毀損及びプライバシー侵害に対して)

原告が、不法行為として主張する本件記事は、昭和六三年六月四日から同年八月七日までのものであり、原告が平成三年六月三日の本件訴え提起時において名誉毀損、プライバシー侵害と特定したのは、

① 原告が北朝鮮工作員とコペンハーゲンで接触していたこと

② 原告が「よど号」ハイジャック犯の安部公博と接触していたこと

③ 原告が自衛隊や米軍基地に関する情報を北朝鮮等に流していたこと

④ 実名・呼び捨て報道

⑤ 原告の住所、年齢、高校卒業後の経歴、海外渡航歴、ボランティアグループに関する事柄

の各報道であり、本件第一回口頭弁論期日は平成三年一〇月二一日に開かれ、この時点では前記記事掲載日から三年を経過していた。ところで、被告は、平成四年四月一五日実施の本件第四回口頭弁論期日において右時効を援用する旨の意思表示をしたから、原告は、右訴え提起時に特定した前記①ないし⑤の事実以外の事実を、新たに名誉毀損、プライバシー侵害と構成し、不法行為に基づく損害賠償等の請求をすることはできない。

四  抗弁に対する認否及び原告の反論

1  抗弁に対する認否

いずれも争う。

2  反論

(一) 本件記事の報道事実の公共性について

本件記事の主要部分である、原告が北朝鮮の工作員と接触し、その活動に協力した疑いがあること、よど号ハイジャック犯との関係については、いずれもなんら違法な犯罪行為ではなく、原告の私生活、私行に関わる事柄であり、また原告は、本件報道当時、特別の社会的地位を有している者でも、その言動が社会的影響を持つ者でもなかったのであるから、本件記事は、公共の利害に関する事実には当たらない。

(二) 本件記事を真実と信じるについての相当の理由について

本件記事はいずれも真実ではないが、なおかつ真実と信じるについて相当の理由もない。

本件記事の取材につき、被告は、主たる取材源として、神奈川県警察本部、警察庁及び警視庁であるとするが、原告を逮捕し取調べをしていたのは神奈川県警であるところ、本件に関する情報は、神奈川県警から他の官庁へそのまま情報提供され、しかもそれらの官庁は相互に情報交換をし合っていると考えられるから、結局これらの情報源に対する取材を行っても、一致した情報しか得られないのは当然のことであって、それらの情報が一致しているからといって、それがその情報の信用性を裏付けるものとはなり得ない。そして、被告は、捜査当局に対する取材以外に、本件記事の主要な部分について、独自の取材を行っておらず、自らの裏付けはほとんどないのであるから、本件記事の主要部分について、真実と信じるにつき相当の理由があるとは到底いえない。

(三) 実名・呼び捨て報道について

刑事被告人は、有罪判決がなされるまでは無罪と推定されるという無罪推定の原則からすれば、逮捕されただけの被疑者の段階から、敬称抜きの呼び捨て報道をすれば、あたかも犯人であるかのような印象を一般読者に与え、その報道された者の社会的評価を低下させ、名誉を毀損させることは明らかである。

(四) プライバシー侵害について

公的関心の有無については、出来事とその当事者がだれであるかということとは区別すべきであり、出来事に巻き込まれた当事者の名前まで公表することは、それが国民の自己統治にとって重要な場合以外は許されず、そうでない場合にこれを報道することは、社会的評価から自由でありたいという利益を侵害するものであって、プライバシー侵害に該当するというべきである。

本件報道においては、北朝鮮工作員と接触した者がいるという報道を越えて、それがだれであるかということまで公表することは、国民の自己統治にとって重要な場合とは到底いえないから、原告に対する私的事項の報道はすべてプライバシーを侵害することになる。

被告は、本件報道は、刑事事件の報道としてなされたものであると主張するが、罰金五万円の略式命令を受けるような軽微な事件について、公的関心事であると認めることはできない上、行為者の同一性まで報道する必要はまったくない。

(五) 消滅時効について

原告は、本件訴状において、本件記事において原告の名誉あるいはプライバシーを侵害するもの全部を不法行為として主張していたのであるから、被告の消滅時効の主張は失当である。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これらの各記載を引用する。

理由

(書証の成立の真正に関する摘示は省略する。)

一  名誉毀損の主張について

1  名誉毀損について

(一)  被告が、その発行する毎日新聞紙上に、本件記事を掲載し、それが、①原告が北朝鮮の工作員とコペンハーゲンで接触していたこと、②原告が「よど号」ハイジャック犯の安部公博と接触していたこと、③原告が自衛隊や米軍基地に関する情報を北朝鮮等に流していたこと、④右ハイジャック犯の柴田泰弘と共に、ボランティア団体を工作員活動のカムフラージュにしていたこと(以下、それぞれ要旨①ないし④という。)、を内容とするものであったことは当事者間に争いがない。

また、被告が記事6及び同7において、原告を実名・呼び捨てで報道したことについては当事者間に争いがない。

(二)  ところで、本件記事が原告の名誉を毀損するものであるか否かの判断をするに当たっては、本件記事の内容のみでなく、見出しの文言及び大きさ等を含めた記事全体の構成をも総合し、一般の読者が本件記事を通常の注意と読み方で読んだ場合に、本件記事全体から通常受けるであろう印象を基準として判断するのが相当である。

また、実名・呼び捨てでの報道が人の名誉を毀損するか否かについては、報道される側にとってみれば、匿名ないし仮名であることが望ましくはあるが、当事者を特定するということが報道に対する基本的な要請であるところからすれば、実名を報道する必要のある場合もあるというべきであり、その判断に当たっては、当時の社会情勢、報道の実情、報道される事実の社会的重大性、当事者の社会的地位等からして、実名での報道の必要があったか否かを検討し、更に当事者の人権にも相当の配慮を払った上で、実名による報道の必要性を総合的に判断すべきである。そして、その場合にすすんで呼び捨てでの報道が許されるか否かについても、そのような総合判断の上で、それが許容される範囲内であるか否かが検討されなければならない。

(三)  乙一号証、一九号証の一、二、二〇号証の一、二によれば、我が国においては、本件記事の発行された昭和六三年当時の社会情勢につき、北朝鮮はソウルオリンピックを機に韓国の国際的地位が向上し、南北間の経済格差が更に拡大することが「韓国革命による朝鮮の統一」という北朝鮮の基本方針の破綻にも通じかねないことに焦燥感を募らせ、ソウルオリンピックの開催阻止を企図して、日本人を装った特殊工作員を使って大韓航空機爆破事件を引き起こしたものと見られていたこと、また、大韓航空機爆破事件以前においても、昭和五三年の七月から八月にかけて、富山県、福井県等で若い男女が何者かに拉致され、あるいは拉致されそうになるという事件が起こったが、いずれもこれらは北朝鮮によるものと疑われていたこと、また、昭和六三年の五月には、北朝鮮からひそかに帰国し、都内に潜伏していた「よど号」乗っ取り犯人グループの一人である柴田泰弘が逮捕されたが、柴田は、北朝鮮の意図を受け、ソウルオリンピックをテロ行為により妨害することを目的として入国したものと見られていたことが認められる。

(四)  以上の当時の社会情勢を前提にして、前記一般読者の読み方により本件記事を読めば、要旨①ないし④にかかる本件記事においては、原告が北朝鮮工作員とコペンハーゲンで接触し、更に「よど号」ハイジャック犯と接触をもちながら、我が国の内外で情報収集活動を行っており、また原告自身が北朝鮮のスパイであるかのような印象を一般読者に与えるほか、北朝鮮が行っていると当時見られていた、テロ行為ないし工作員活動を幇助しているとの印象をも読者に与えるものであると認められるから、これら記事の報道は、全体として、原告の社会的評価を低下させるものと認められ、原告の名誉を毀損するものであるというべきである。

なお、逮捕容疑の誤報の主張については、原告が逮捕されたことについては争いのないところ、乙五ないし一八号証、弁論の全趣旨によれば、原告の逮捕事実は、逮捕当時に居住していたアパートに転居する前に居住していた部屋を賃借する際、他人名義の署名捺印を用いた賃貸借契約書を作成したという有印私文書偽造・同行使であることが認められるから、本件記事1及び同11の記載内容がこれと異なっていることは明らかである。しかしながら、原告についていえば、逮捕されたことそれ自体で、原告の社会的評価の低下を招くものというべきであり、これに加えて右報道の内容からすると、右誤報それ自体によって逮捕の事実とは別個に、更に原告の社会的評価が低下するものとは認め難いから、右主張は採用の限りではない。

次に渡航先の誤報の主張については、原告が第三国に渡航するために韓国を経由したことは当事者間に争いがないのであって、これをもって韓国に渡航したと報じることが事実に対する評価を誤ったものであるとしても、本件記事の内容からして、渡航先の誤報それ自体が原告の社会的評価の低下をもたらすものであるとは認められない。

更に原告が黙秘しているとの報道についても、その内容自体からして、これが原告の社会的評価の低下をもたらすものであるとは認められない。

(五)  実名・呼び捨てでの報道については、そのこと自体により、直ちに人の社会的評価が低下する性質のものではなく、当該記事の内容との関係において報道機関が実名にすべきか否かを含めて判断すべきであり、しかも証人丸山雅也の証言によれば、本件記事の報道当時においては、事件報道については、実名報道が当時の報道慣行であったことが認められ、また本件記事(記事6及び同7)は有印私文書偽造、同行使の事実によって逮捕された原告に関する報道であり、その内容も、当時テロ活動を繰り返し、日本の公安秩序にも大いに関係すると思われていた北朝鮮の工作員活動に原告が関係していたというものであることからすると、本件記事において原告を実名・呼び捨てで報道したことが違法に原告の名誉・信用を害するものであるとはいえない。

2  抗弁に対する判断

(一)  右1によれば、要旨①ないし④にかかる本件記事が原告の名誉を毀損すると認められるところ、人の名誉を毀損する報道であっても、それが公共の利害に関する事実であり、専ら公益を図る目的で報道された場合、摘示された事実が真実であるか、あるいはそれを真実であると信ずるについて相当の理由がある時には、その報道については違法性を欠き、不法行為は成立しないと解するのが相当であるから、以下、この点を検討する。

(二)  本件記事は、要旨①ないし④の内容及び前記一1(三)で認定した本件記事報道当時の社会情勢に照らせば、本件記事の内容が公共の利害に関するものであることは容易に認められ、また本件記事の内容、新聞の性格に照らせば、報道が公益を目的としたものであったことも認められる。

(三)  なお、報道された記事につき、その摘示された事実が真実であることの証明の対象としては、その主要な部分において真実である旨の証明があれば足りると解すべきであり、何が記事中の主要な事実であるかは、前記同様に一般の読者の読み方を基準として判断すべきである。

この観点からすると、本件記事1ないし同11の内容は、原告が有印私文書偽造罪等で逮捕され、それに関係して原告が北朝鮮工作員と接触し、我が国において情報収集活動をしていたと疑われていたことを内容とするものと認められるから、本件記事の主要部分は、

(a) 原告が、有印私文書偽造・同行使罪で逮捕・勾留され、公正証書原本等不実記載・同行使罪で起訴され、略式命令を受けたこと、

(b) 原告が、北朝鮮工作員と接触していたこと、

(c) 原告が、北朝鮮工作員の指示を受けて日本国内において各種の情報収集活動をしていたこと、

(d) 原告が、よど号ハイジャック事件の犯人と接触していたこと、

であると認められ(以下、単に(a)ないし(d)という。)、これらの事実について真実であることの証明を要するものと考えるべきである。

(四)  まず、(a)に関する部分については、原告が有印私文書偽造・同行使罪で逮捕・勾留され、その後、公正証書原本等不実記載・同行使罪の追送致を受け、公正証書原本等不実記載・同行使罪で略式命令を受けたこと、被告が原告の逮捕事実につき、公正証書原本等不実記載等と報じたことがあること、については当事者間にそれぞれ争いのないところ、原告が逮捕されたこと自体が原告の社会的評価を低下させるものであることは前記一1(四)で述べたとおりであるが、公正証書原本等不実記載の事実でも送致、略式起訴されたことは事実であり、また記事1で、逮捕事実につき、原告が逮捕当時に居住していたアパートを借りる際に別の女性の名前を使って賃貸借契約を締結したと報じたことが誤報であると主張する点についても、通称名である「佐藤恵子」名義で同契約を締結したことは乙五号証、八号証、弁論の全趣旨より認められ、これをもって別人名義というか通称名というかは評価の問題に過ぎず、結局、(a)に関し、主要な部分は真実であるというべきであるから、これに関する被告の報道には違法性がなく、不法行為を構成しないというべきである。

(五)  次に、本件記事内容の(b)に関する部分につき、乙六ないし八号証、一七、一八号証、一九号証の一、二、二〇号証の一、二、二七号証、三〇号証、三三号証によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五二年二月下旬ころ、日本を出国してイタリア、フランス等を旅行し、昭和五六年にデンマークのコペンハーゲンを訪れた際、流暢な日本語を話す四〇歳前半くらいの男性に声をかけられ、交際するようになった。その男性は、劉と名乗り、中国物産品の輸出をしている会社に勤め、本社は台湾にあり、コペンハーゲンには出張所があるなどと言っていた。

原告は、劉に対し、フランスでの連絡先を教えたところ、約一月後、フランスに戻った原告のもとに劉から電話があり、再びコペンハーゲンで劉に会い、原告は劉に好意をもって肉体関係をもつようになった。その後も二、三週間おきくらいにコペンハーゲンで会うようになった。

原告は、昭和五六年八月ころ、劉から、電話の取次ぎや民芸品の市場調査等の仕事を手伝って欲しい旨依頼されて承諾し、劉の依頼でフランスやイギリスのホテルのパンフレットや、下着等の衣類の調達等をし、一〇万円相当を謝礼として米ドルで受け取った。

その後原告は、昭和五六年一〇月ころ、劉からの連絡でコペンハーゲンに行き、前記商品などを渡し、謝礼として米ドルで一〇万円相当を受け取ったが、その際、劉から、シンガポールに行き、シンガポール市内の写真を撮るよう指示され、撮影場所一〇か所に丸印を付した地図、ミノルタ製のカメラ一台、費用五〇万円相当の米ドルを渡された。この時、劉は、写真を撮影する場合には、その場所がどのような場所であるのか特徴がよく判るように撮るよう注意し、また、有名ホテルのパンフレットも手に入れてくるよう指示した。

原告は、劉の指示どおり、シンガポールに赴き、指示のあった一〇か所の場所を、三六枚撮りのフィルム約一〇本に撮影するとともに、約二〇軒のホテルのパンフレットを手に入れた。そして、昭和五六年一〇月ないし一一月ころ、劉の指示でコペンハーゲンに行って同人と会い、右写真及びパンフレットを渡し、謝礼として五〇万円を受け取った。

原告は、劉に誘われて、同人と共に、昭和五七年二月ころ、コペンハーゲンから東ベルリン経由でモスクワに行き、更に同年七月から昭和五八年八月ころまでの間に二回、コペンハーゲンからベオグラードへ旅行した。

原告は、昭和五九年七月に帰国したが、その約一週間前に、コペンハーゲンで劉に会い、帰国する旨を伝えたところ、劉から、日本に帰っても劉の仕事を手伝うよう言われ、ポラロイドカメラ、ワイシャツ、下着、時計、セーターなど合計二、三〇品目の日常用品等並びに、防衛白書、警察白書、国語辞典、漢和辞典等の辞書類及び東京、大阪、新潟、富山、京都及び兵庫の各地図等の購入を指示され、更に日比谷公園、井ノ頭公園、代々木公園、上野公園、新宿御苑の写真撮影、銀座第一ホテル、新橋第一ホテルなど多数のホテルのパンフレットの入手等も指示された。

劉は、原告に前記指示を行う際、写真を撮るときは怪しまれないよう自然に振る舞い、そのためには写真マニアであるかのように装えばいいこと、だれかに監視されていないかを常に注意すること、本を買うときは何回かに分けて買うこと、これらの仕事については絶対に他人に言わないこと、仕事に関するメモは、用が済んだら必ず細かく破いて捨てるか焼却することなどの注意を与えた上、依頼された仕事の内容を不思議に思うかもしれないが、深く考えないでおいた方がいいなどと述べ、この仕事に対する謝礼として、原告に対し、一〇〇米ドル紙幣を一〇〇枚、合計一万ドルを渡し、その際、日本で両替する場合には偽名を使うようにとの注意を与えた。

原告は、これを承諾し、劉に対し、東京での連絡先を教えた。なお、原告は、帰国するまでの間に、劉から依頼された電話の取次ぎを合計約三〇回やり、それに対して一〇万円の報酬を一、二回受け取った。

そして、原告は、昭和五九年七月中旬に帰国し、帰国の約一週間後、右一万ドルを偽名で日本円に両替するとともに、友人宅に居住し、夜は都内のスナックで働き始め、昭和五九年一〇月初旬及び一一月末、劉から前記の指示内容を履行するよう督促の電話を受けるまでの間に、劉から指示された物品のほぼすべてを購入し、ホテルのパンフレット二〇ないし三〇軒分及びホテルのガイドブックを入手していた。しかし、原告は、依頼された写真の撮影は半分ほどしかできていなかったため、劉からの右連絡の際、その旨を伝えると、劉から、とりあえずできた分だけでいいから持参し、それ以外の分はまた帰国後に撮影してもらえばよいが、公園の撮影だけは全部済まして欲しい旨の指示があったので、これに従った。

原告は、昭和五九年一二月下旬ころ、フランスに赴き、劉からの連絡によりコペンハーゲンで劉に会った。その際、原告は、購入するよう指示されていた物品等、撮影を依頼されていた写真、ホテルのパンフレット及びガイドブック等を劉に渡したところ、劉は、新たに、金箔の陶器や装飾品等約一〇点の購入を指示した。

原告は、昭和六〇年一月上旬にフランスから帰国し、前記友人宅で居住するとともに、夜はスナックで働き、従前依頼されて果たせなかった新宿、渋谷、銀座の写真を、三六枚撮りフィルム約五本を使用して撮影し、前記指示された装飾品等を購入の上、昭和六〇年四月上旬、再度フランスに赴き、劉からの指示により、コペンハーゲンにおいて劉と会い、指示されていた物品等を渡した。

原告は、劉から、原告が飲食店を経営する場合、その費用の一部を出してくれると言われていたので、コペンハーゲンで会った際、自分の店を出したい旨を伝えたところ、劉は、店をやるなら東京に近い横須賀がよい、横須賀は米軍の兵隊や自衛隊員が多く住んでいるので、飲食店を出すのに向いているなどと言ったため、原告は、横須賀ならば多少知っているので、そこに店を出すことを決めた。

原告は、昭和六〇年五月二六日に帰国したが、横須賀に住むに当たっては、佐藤恵子の名を使うことにしていたので、劉の指示通り横須賀市内に部屋を借りた際、佐藤恵子と名乗り、喫茶店で働くとともに、簿記三級の資格を取った。原告は、同年九月中旬ないし下旬ころ、劉からの電話連絡を受けて、同年一一月二〇日ころフランスに行き、同年一二月中旬に劉とコペンハーゲンで会った。

劉は、原告に対し、知人の出身地、性格、趣味などの調査、特に金銭的困窮者、仕事を辞めたいと希望している者、海外渡航希望者の調査及びその名簿作成を依頼し、謝礼として一万米ドル支払う旨約した。原告は、劉からは以前にもメモを廃棄するようにとか、怪しまれないようにしろとか指示されており、更に人の秘密に関することの調査を依頼されたことから、ますますおかしいと思い、何か悪いことにつながるのではないかと不安に思ったが、金が欲しかったこと及び劉に好意を持っていたことなどから、これを承諾し、昭和六一年一月下旬ころ、劉からの連絡により、コペンハーゲンにおいて、劉と会い、同人から一万米ドル受領し、日本円に換金してもらった。

原告は、同年二月上旬ころ日本に帰国し、再び横須賀に借りた部屋で生活をしながら、学校用教材を販売する会社等に勤めるとともに、夜はホステスとして働いた。

原告は、昭和六一年一〇月上旬ころ、劉から、前記依頼した名簿の作成が順調にいっているか問い合わせる電話があり、できるだけ早く持参するよう催促されたため、調査は不十分ではあったが、約二〇名の知人の氏名、住所、出身地、性格及び趣味等を記載した名簿を作成し、昭和六二年一月中旬ころ、フランスに行き、コペンハーゲンにおいて、劉に対し、右の氏名等を記載した赤色の手帳を渡した。

原告は、その二、三日後、劉と会った際、同人から、前記名簿につき、今後は住所は番地まできちんと記載すること、生年月日についても洩れなく記載すること、家族も趣味ももっと詳細に記載することなどを注意され、前記赤色の手帳の返還を受け、前記調査を継続すること、今後劉と日本国内にいる同人の知人との電話の取次ぎをすることなどの指示を受け、これらの活動の報酬として一〇〇米ドル紙幣を一〇〇枚、合計一万ドルを受領した。

原告は、昭和六二年三月一日に帰国し、スナックで働き始めていたが、劉から返還を受けた前記赤色の手帳は、表紙が外れたりしていたためこれを廃棄し、新たに青色の手帳に知人の氏名、住所、生年月日、電話番号、出身地、性格、趣味、家族関係などの調査事項を記載する作業を続けた。

原告は、昭和六二年一一月初めころ、面識のない人物から、劉に対し、大楠高校二年生の浜田夕子及び森雄一の氏名、住所、電話番号等を伝言するよう頼まれ、翌日劉から電話連絡を受けた際、これを伝えた。

原告は、同年一二月二日から、夢見波の営業を始めたが、そのころ、それまで一週間か一〇日に一度の割合で連絡があった劉から、仕事が忙しいのであまり連絡できなくなるかもしれない旨の連絡があった。

原告は、昭和六三年二月下旬ころ、劉から、前記名簿をできた分だけでも持ってきて欲しいとの依頼を受けたが、夢見波が開店したばかりであるから、店の営業が軌道に乗るまで一年くらい待って欲しい旨返答し、その後も引き続き、前記青い手帳に前記調査事項の記載を続けた。

(2) 劉は、原告が横須賀に居住する旨伝えた際に、原告に対し、横須賀に住むようになったらすぐに銀行の預金口座を多数開設するとともに、キャッシュカードも作るように要請し、その際に、劉は、キャッシュカードの暗証番号として「一一二七」、「〇一二九」、「八〇六三」、「一九九五」、「〇五三一」の番号を使うように指示し、原告も誕生日である一一月六日に相当する「一一〇六」と、原告の母の誕生日に相当する「〇七一九」の暗証番号を使うことを告げ、結局合計七個の暗証番号を使うことを劉との間で取り決め、原告は、黒色の表紙の手帳にそれら番号を書き留めた。

(3) 原告は、昭和六二年九月ころ、劉から、日本にいる劉の仕事の関係者と劉との伝言の連絡方法として、西武マリオンの電話伝言システムの利用の方法を教わったが、原告自らメッセージを送って試したのみで、それ以外は利用しなかった。

(4) 原告が使用していた前記キャッシュカードの暗証番号のうち、「一一二七」については、よど号ハイジャック犯の田宮高麿の本籍地の枝番の一一二七と一致していた。

(5) 実在の国であり、北朝鮮及び韓国双方と国交があり、しかも中立的である某国の治安当局から、警視庁に対し、日本人女性とデンマークで接触している北朝鮮情報機関員について情報提供があった。

その情報によれば、北朝鮮情報機関員はキム・ユー・チョルといい、昭和一三年四月一七日平壤生まれ、身長一七〇センチメートルで、やせ型、眼鏡使用、日本語は流暢に話せ、朝鮮労働党連絡部の欧州地区担当幹部であり、同五三年一一月からデンマークの北朝鮮大使館勤務になり、同五五年秋にベオグラードの北朝鮮大使館勤務となり、同五六年には、ユーゴスラビア在ザグレブ北朝鮮総領事館副領事となったというものであった。

そして、北朝鮮の朝鮮労働党連絡部の任務は、海外における情報活動、秘密工作活動を行うとともに、韓国に派遣する特殊工作員を養成訓練して、同国内で非合法な地下工作を行うことにあり、同連絡部の日本人又は韓国人に対する工作活動のうち、特に重要な任務は、韓国に合法的に渡航できる工作員を養成し、又はその工作員を指揮することにあるから、キム・ユー・チョルは、自己の支配下においた日本人女性に情報収集活動を行わせるとともに、韓国に渡航させるか又は韓国に渡航できる日本人の工作員候補者を捜し出す役割を担わせようとしていたものと見られていた。

また、某国は、我が国との間で情報交換を具体的に行っているが、推測あるいは不確かであると考えられる情報についてはその旨を明らかにした上で情報提供を行う国であり、信頼できる情報筋であるところ、キム・ユー・チョルに関する情報については、その旨の留保が付されておらず、確度の高い情報であると考えられていた。

(6) 原告は、捜査機関に対し、劉の特徴として、原告が初めて劉と会った昭和五六年六月当時で、四〇歳前半くらいで、身長約一七二センチメートル、やせ型で、眼鏡を掛けていたと述べた上、某国から提供されたキム・ユー・チョルの写真を劉に間違いないと供述した。

以上(1)ないし(6)の各事実によれば、原告の接触していた劉という人物は、キム・ユー・チョルであるものと認められ、しかもキム・ユー・チョルは、北朝鮮工作員として、その情報収集活動の一貫として原告と接触していたものと認められるから、本件記事の(b)に関する部分についても、真実であると認めることができる。

(六)  しかしながら、本件記事の主要部分のうち、(c)及び(d)については、これらを真実であると認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。

ところで、被告の報道に係る事実が真実でない場合であっても、被告がこれらの事実につき真実であると信じるについて相当な理由がある場合には、被告には過失がなく、違法性が阻却されると解すべきである。

そこで、この点を検討する。

まず、証人丸山雅也、同千々部一好、同吉田弘之の各証言によれば、以下の事実が認められる。

(1) 毎日新聞横浜支局では、本件に関しては、昭和六三年六月三日に、神奈川県警の警備部が女性を逮捕しているという情報を得ていたが、原告が北朝鮮工作員と接触があり、よど号ハイジャック犯人との関係も疑われていることについては、同月四日の朝日新聞朝刊を見るまで知らなかった。

(2) 同支局員で、神奈川県警担当のサブキャップ(副責任者)であった丸山証人は、神奈川県警の警備部幹部宅に前記朝日新聞記事の事実関係の確認の取材を行ったが、その幹部は、原告と北朝鮮工作員との接触、よど号犯人との関連につき、警備部でその旨の情報を把握し、同県警外事課で捜査していること、原告の逮捕容疑は、有印私文書偽造であり、公正証書原本等不実記載ではないことなどを答えた。

その後、同証人は、神奈川県警において、警備部幹部、外事課員等五、六人の県警関係者に対して取材し、主に原告と北朝鮮工作員との接触、よど号犯人との接触につき確認したが、これを否定するような回答はなく、また、前記朝日新聞の記事が、原告の逮捕事実が公正証書原本等不実記載であると報じているのは正確ではなく、原告が、以前居住していたアパートを借りるに際し、別の女性の名前を使ったということであること、北朝鮮工作員との接触の場所が、コペンハーゲンであること、また関係がとりざたされているよど号犯人は柴田泰弘であること、原告が住民登録に虚偽記載していたこと、原告が当時一切を黙秘していたことなどの情報を得た。

(3) 千々部証人は、本件記事報道当時、同支局の神奈川県警担当のキャップ(責任者)として、警察での取材に基づき、原告宅で、高性能ラジオや写真などが押収されたとの情報を得、原告が以前働いていたスナックの従業員に対する取材では、そのスナックの客には、防衛大生や自衛隊員が多かったという情報を得た。

また、原告とよど号ハイジャック犯との接触についても、原告が銀行口座を開設するに当たって、暗証番号をよど号ハイジャック犯の田宮高麿の生年月日が使われていたとの情報を得た。

(4) 吉田証人は、本件記事報道当時、被告本社社会部で警視庁の公安担当をしていたが、警視庁の関係者から、よど号ハイジャック犯の支援グループに関係のある女性が横浜で逮捕された旨の情報を、本件記事報道以前の昭和六三年五月末の段階で得ていたが、その後も、警視庁公安部幹部から詳しい情報を得るべく、取材を継続していた。そして、よど号ハイジャック犯の柴田が我が国に潜伏した際に利用した貿易会社において常務を勤めた女性及びよど号ハイジャック犯の田宮の妻の二人が北朝鮮工作員であり、原告は同人らと連絡を取って接触をしていたとの情報を得た。

また、吉田証人は、警視庁公安部の関係者から、よど号ハイジャック犯の安部が、偽造旅券を使ってコペンハーゲンに行った際に、数名の女性が安倍と接触していた旨の情報が外交ルートで日本に寄せられており、そのうちの一人が原告であること、更によど号ハイジャック犯の柴田が、原告と神奈川県内で接触した可能性が非常に高いことなどの情報を得ていた。

(5) 本件に関して、捜査段階においては、神奈川県警等捜査当局からは、報道機関に対し、誤報に対する注意があったのを除けば、本件事件内容に関する公式発表、記者会見等は一度もなかった。

以上の(1)ないし(5)に認定した事実及び前記(五)の事実によれば、被告が(c)及び(d)の事実を報道するについて、被告本社社会部及び横浜支局において、警視庁等公安当局、神奈川県警、原告の周辺等を一応取材したものと認められるが、(c)及び(d)の事実について、神奈川県警等からの公式の発表がない以上、たとえ、被告社会部等の記者が、捜査当局から直接その旨の情報提供を受けたとしても、被告において、これらの事実につき、被告独自の裏付け調査を行った上で記事を作成すべきであり、本件においては、右認定に係る被告の取材の全経過を参酌しても、被告が右裏付け調査を十分に行ったとは認め難いから、被告において、これらの事実を真実であると信じるにつき相当の理由があるとは認められないというべきである。なお、原告とよど号ハイジャック犯との関係についてみても、前記(五)において認定したとおり、劉が指示したキャッシュカードの暗証番号によれば、よど号ハイジャック犯と原告との間に、なんらかの関係があることがうかがわれ、しかも被告横浜支局において、捜査当局からの取材によりその旨の情報も得ていたことが認められるが、これらの事実を総合したとしても、これだけでは(c)及び(d)の事実が真実であると信ずるについて相当の理由があると認めることはできないといわざるを得ない。

二  プライバシー侵害について

1  原告は、被告が、本件記事において、原告の氏名、住所、職業、年齢、渡航歴、経歴、原告の店舗の状態、賃貸借契約締結の経緯、ボランティア活動等を原告に無断で掲載したことがプライバシーの侵害に当たると主張するので、以下この点について判断する。

2  他人に知られたくない私的な事柄をみだりに公表されない利益については、いわゆるプライバシーの権利として一定の法的保護が与えられるべきであり、このような個人のプライバシーに関する事柄を報道するについては、プライバシー保護の必要性と言論の自由の保護との比較衡量により、その侵害が社会生活上受忍すべき限度を超えるか否かを判断してこれを決すべきであるが、その報道が専ら公益を図る目的でされたときは、その事実が報道記事の内容等を理解するのに必要な限度でその報道は許容されると解すべきであるから、その判断に当たっては、そのプライバシーに関する報道が、公共の利害に関するものであるかどうか、その表現行為が、方法において不当なものがないかどうかを総合考慮して判断すべきである。

3  そして、この観点からすると、本件記事は、原告が北朝鮮の工作員と接触し、情報収集活動を行っていたことをその主な内容とするものであり、これは前記認定の本件記事が報道された当時の社会情勢に照らせば、公共の利害に関するものであると認められ、また表現行為としては特段不当なものとは認められず、原告がプライバシーに該当すると主張する、氏名、住所、職業、年齢、渡航歴、経歴、原告の店舗の状態、賃貸借契約締結の経緯、ボランティア活動等は、本件記事の内容、背景等を理解するのに必要と認められるから、これらのプライバシーに関する情報を報道したことについては、違法性を欠くというべきである。

三  被告の責任について

以上に検討したところによれば、被告発行の本件記事は、前記一に認定した限度で、原告の名誉を毀損するものと認められ、それら記事の報道は、被告の従業員により、被告の事業の執行としてなされたことは明らかであるから、被告は使用者として、原告に対する不法行為責任を負うというべきである。

なお、被告は前記第二の三3①ないし⑤以外の事実については、たとえ名誉毀損ないしプライバシー侵害に該当するとしても損害賠償債務は時効消滅していると主張するが、すでに訴え提起の段階で、原告は本件記事を通じての一連の報道を対象として、社会的評価の低下、プライバシー侵害を問題としていたと認められ、しかもこの訴え提起の時点では、時効完成前であったことは被告も認めるところであるから、右主張は採用することはできない。

四  損害について

原告は、被告による前記名誉毀損行為によって精神的苦痛を受けたと認められるから、これを慰謝すべきであるが、その額は、本件に現れた全事情を考慮すれば、金一〇〇万円が相当であると認められる。

また、原告の主張する、制裁的慰謝料については、現行の法律制度の下で認められるものであるかについて疑問があるのみならず、原告の主張を前提にしても、本件に現れた事情の下においては、そもそもそれを認めるべき余地はないというべきであるから、採用できない。

原告が、本件訴訟を、訴訟代理人らに対して委任し、訴訟の提起、遂行をし、これに対して報酬の支払いを約したことは弁論の全趣旨より明らかであるが、このうち、被告の不法行為と相当因果関係にあるものと認めるものは、本件の事案の性質及び審理経過、認容されるべき損害賠償額等の諸般の事情に照らして考えれば、金一〇万円が相当であると認められる。

五  名誉回復措置、妨害排除、予防請求について

原告の求める謝罪広告の掲載については、本件事案の内容、原告の社会的評価の低下の程度、認容すべき損害賠償額等を総合的に判断すると、本件においては、金銭的な賠償に加えて、謝罪広告の掲載の必要を認めることはできない。

また、図書館所蔵のマイクロフィルム化された記事への対策として、それらの図書館への付箋の送付を求める部分については、当該図書館に対して付箋を送付したとしても、その付箋の貼付を実現するについては、各図書館の任意の履行に期待するほかはなく、送付を受けた各図書館においてどのような対応を取るのかが不確定である以上、このような方法はその実効性に疑問があるというべきであり、妨害排除あるいは予防として、適当、必要な措置であるとはいい難いから、将来にわたり生ずるであろう不利益は、金銭賠償の額の決定に当たり斟酌することをもって足りるものというべきである。

被告が管理する毎日新聞記事データベース中の別紙(五)の(記事1)ないし(記事5)につき、別紙(六)の付記を求める部分についても、本件事案の内容、原告の社会的評価の低下の程度等の事情に鑑みれば、金銭賠償に加えて、前記付記をさせるまでの必要を認めることはできない。

六  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、不法行為(名誉毀損)に基づく慰謝料及び弁護士費用の合計金一一〇万円並びにこれに対する不法行為の日の後である昭和六三年八月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官秋武憲一 裁判官今井弘晃 裁判長裁判官尾方滋は転補のため署名捺印できない。裁判官秋武憲一)

別紙記事一ないし一一〈省略〉

別紙(一) 謝罪広告〈省略〉

別紙(二) 図書館目録〈省略〉

別紙(三) お願い文書(付箋貼付)〈省略〉

別紙(四) 付箋〈省略〉

別紙(五) 毎日新聞記事データベース中の記事〈省略〉

別紙

記事一覧表

記事

発行日

種 別

見  出  し

1

6月4日

夕 刊

北朝鮮工作員と接触?/渡航ひんぱんな女性逮捕/神奈川県警

2

6月5日

朝 刊

湘南版

北朝鮮工作員らと接触2/ エッ!あの美人ママが…/ 横須賀市民らびっくり

3

6月7日

朝 刊

スナック女経営者/ 「よど号」犯人と接触?/ 周辺に女性工作員2人も

4

6月7日

朝 刊

湘南版

不審…な行動、さらに追及/ 北朝鮮工作員接触疑惑のスナックママ/10日間の拘置延長

5

6月8日

朝 刊

横浜版

スナックママのアパート/ “設計士”が賃貸契約/北朝鮮工作員接触

6

6月11日

朝 刊

ボランティア組織化/ スナック女経営者/ 工作員活動、隠れミノ?

7

6月15日

朝 刊

コペンハーゲンで接触/52年から7年西欧に滞在中/ 甲野、工作員と/ 神奈川県警

8

6月16日

朝 刊

横須賀の女性/略式起誹し釈放/ 「北」工作員と接触疑惑

9

6月16日

朝 刊

湘南版

多くの未解明部分残し/ 甲野さん釈放/ 捜査、一応ピリオド

10

6月17日

夕 刊

「北朝鮮のスパイでない」/ 甲野さん記者会見

11

8月7日

朝 刊

5女性に旅券返納命令/ 外務省/所在は不明/「北朝鮮工作員と接触」

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例